[PROFILE]
1967年、パリ(フランス)生まれ。建築史・建築批評家。
1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。
現在、東北大学助教授。
 
著書:「終わりの建築/始まりの建築」(INAX出版)、「新宗教と巨大建築」(講談社現代新書)、「戦争と建築」(晶文社)、「美しい都市・醜い都市」(中公新書ラクレ)、「現代建築に関する16章」(講談社現代新書) ほか多数。

2007.04.02更新


 終わりの感覚は新しい始まりをもたらす。
 
 1000年前の世紀末、世界の終わりが意識された。だが、ハルマゲドンは訪れず、新世紀を迎えると、ロマネスク建築が一斉に開花する。18世紀、古典主義のシステムが崩壊へのトリガーをひいたとき、建築の起源への遡行を喚起し、近代的な自意識をもたらした。


 終わりを語ることは、ラディカルかつ破壊的な行為のようだが、実際はもとのシステムを延命させる装置になるという意味において共犯関係を結ぶ。美術史家のハンス・ゼードルマイヤー(注1)は、宗教的な世界観が機能不全に陥る近代の状況を「中心の喪失」と命名したが、それは病気だと批判しつつも新しい芸術表現の特徴をつかみだす行為だった。マルセル・デュシャン(注2)にしても、ジョン・ケージ(注3)にしても、芸術の最終宣告は、終わりという危機をあおることで、かえってそのシステムを強化するという逆説をはらむ。


 20世紀後半の建築界において、それをもっとも確信犯的に行ったのは、磯崎新(注4)だろう。彼の著作『建築の解体』は、1960年代に蔓延した近代の終わりの気分にあふれている。これはポストモダンという新しい時代への橋渡しだった。外部からではなく、内部からの自己解体である。


 その後も、彼の関わったヴェネチア・ビエンナーレの展示では、阪神大震災の瓦礫を持ち込み、ブームの過ぎていたディコンストラクティヴィズムに引導を渡した。磯崎が、ヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーに森川嘉一郎(注5)を指名したのも、彼がオタクの趣味こそが建築と都市計画の終わりを象徴する出来事だと論じていたからだ。「建築」というジャンルに所属しながら、建築の終わりをセンセーショナルに語ること。終わることを叫ぶ、オオカミ少年の伝統を正しく継承している。
 
 かくいう筆者も、世紀の変わり目にあわせて、『終わりの建築/始まりの建築』(INAX出版)という本を刊行した(ちなみに、タイトルは編集者がつけたもの)。ここでは90年代に登場したユニット派、あるいはスーパーフラット的な感性をもつ建築を肯定的に論じた。もっとも、「建築の終わり」ではなく、「終わりの建築」である。
 
 終わることの困難さを考えるとき、印象深い作品がある。庵野秀明監督(注6)の『新世紀エヴァンゲリオン』だ。テレビシリーズの全26話では、制作が間に合わず、きれいに終わることに失敗した。が、それゆえに謎解きのブームを誘発し、映画版がつくられた。


 ところが、映画のスケジュールにも遅れ、『EVANGERION:DEATH』(1997)では、ほとんどが過去の映像のサンプリングとなり、壮大な予告編に終わる。プロとしても失格だし、興行的にもありえない展開である。しかし、再び終わることに失敗したことで、ブームはさらに発火した。そして『EVANGERION:REBIRTH』では、愛されてきたキャラクターを破壊し、終わりなきオタクの夢を壊すような壮絶なフィナーレを提示する。現実に帰れ、というメッセージもあっただろう。
 
 これを見たとき、筆者は、クリエイターの究極の権利とは自らの作品を壊すことだ理解した。もともと庵野は、小さいときからそうした破壊衝動をもっていたと述べている。また、彼は『宇宙戦艦ヤマト』の顛末を批判していた。『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のラストでは、全員が玉砕したにもかかわらず、金が儲かることから、物語をリセットして新シリーズを始めたのである。庵野は、あの涙を返せと怒ったという。


 だからこそ、エヴァンゲリオンでは、そうした再起動を許さない終わらせ方をあえて試みた。涙さえ流させないような落ち着きの悪いエンディング。彼の才能ならば、きれいにまとめることも可能だったから、やはり異常なブームに嫌気がさして、自分で作品を壊したのだと納得した。


 実際、その後、エヴァンゲリオンのゲームなどは制作されたが、庵野名義ではない。彼にとっては、終わることに成功したはずだった。ところが、今年、再び彼がエヴァンゲリオンを制作することが発表された。宮崎駿も監督をやめることを何度も宣言しながら、再び映画を手がけている。庵野も結婚したことで作風が変わり、考え方が変わったのかもしれない。しかし、庵野の言葉は何だったのか。でも、公開されたら、筆者もきっと見るに違いない。
 
 終わることはかくも困難なのである。
 









注1 ハンス・ゼードルマイヤー(1896-1984)
ウィーン学派の後継的美術史家。主著に『中心の喪失─危機に立つ近代芸術』(石川公一+阿部公正訳/美術出版社/1965)、『芸術と真実 美術史の理論と方法のために』(島本融訳/みすず書房/1983)
 
注2 マルセル・デュシャン(1887-1968)
美術家。ニューヨーク・ダダの中心的人物。代表作に、『階段を降りる裸体No.2』(1913)、レディ・メイド作品の『泉』(1917)など。
 
注3 ジョン・ミルトン・ケージ(1912-1992)
作曲家。代表曲に、『4分33秒』(初演1952)、『0分00秒』(初演1962)、『プリペアド・ピアノの為のソナタとインターリュード』(1946-1948年)など。
 
注4 磯崎新(1931-)
建築家。磯崎新アトリエ主宰。代表作に「大分県立大分図書館」(1966)、『水戸芸術館』(1990)、『京都コンサートホール』(1995)、『山口情報芸術センター』(2003)など。著書に『空間へ』(美術出版社/1971)、『建築の解体』(美術出版社/1975)、『反回想』(A.D.A. EDITA Tokyo/2001)など。
磯崎新アトリエ
 
注5 森川嘉一郎(1971-)
桑沢デザイン研究所特別任用教授、早稲田大学理工学総合研究センター客員研究員、2004年ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展日本館コミッショナー。著書に『エヴァンゲリオン・スタイル』(第三書館/1997)、『20世紀建築研究(共編著)』(INAX出版/1998)、『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(幻冬舎/2003)、『おたく:人格=空間=都市』(幻冬舎/2004)など。
Kaichiro MORIKAWA website
 
注6 庵野秀明(1960-)
アニメーター、映画監督。代表作に『トップをねらえ!』(1988)、『ふしぎの海のナディア』(1990-1991)、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996)、『ラブ&ポップ』(1998)、『キューティーハニー』(2004)など。『新世紀エヴァンゲリオン』は第18回日本SF大賞受賞。
庵野秀明公式Webサイト
 

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