[PROFILE]
1956年 東京都生まれ。建築家。
1977年 スタンフォード大学卒業、1980年 ハーバード大学デザイン学部大学院修了、1981〜1984年 内井昭蔵建築設計事務所、1987年 設計組織ADH設立、2005年〜2007年3月 UR都市機構 都市デザインチームチームリーダー、現在 工学院大学教授 日本大学生産工学部など非常勤講師。主な作品:NT(1999)、白石市営鷹巣第2住宅 シルバーハウジング(2003)、アパートメンツ東雲キャナルコート(2005)。主な著書:「孤の集住体」(共著、住まいの図書館出版局、1998)、「集合住宅をユニットから考える」(共著、新建築社、2006)。

設計組織ADH http://home.att.ne.jp/kiwi/adh/

2007.07.14更新


●集合住宅の現状に思う
私の事務所がある東京都港区芝浦界隈の最近のマンション建設ラッシュは、集合住宅には終わりがないというほどの勢いである。突如芝浦のスカイラインを一変してしまうほどのタワーマンションが次から次へと建ち上がる姿を見ていると、わが国はこれほどまでに集合化を図る必要が本当にあるのだろうかという思いにさえなる。
 
2005年に日本の人口はすでにピークを迎えたのだから、今後は確実に少子高齢化による縮小社会と向き合うことになるわけだ。そんな状況の中での勢いあまった集合化は、視点を変えて見ると「集合住宅の終わり」を暗示させるクライマックス期に今あるのではないかと思わされる。市場原理、経済原理で成り立っている現在のマンション供給の仕組みがこの先どうなるのだろう。



●「集まって住む」とは?
高層集合住宅の住まい手は「集まって住む」という集合住宅の本来の意味をどの程度理解し、またそれを生活の一部と考えているのだろうか。元来集合住宅のメリットのひとつに、集まって住むことで戸建住宅では持ち得ない豊かな共用空間の獲得があったはずである。
 
平成9年(1997年)に建築基準法の改正があり、共同住宅の廊下などの通路面積を容積率に算入する必要がなくなったということは、その分専有面積を増やすことが可能となったわけだ。それならば専有面積が多く取れて事業性も有利となった分を住まい手に還元する目的で、共用部をもう少しつくり込みながら豊かな空間とできないものだろうか。そして結果として集合住宅自体の価値をも高める考え方はあり得ないのだろうか。
 
もっとも現在計画されている多くの集合住宅は一戸一戸の住戸が共用部とは完全に縁が切れ鉄の扉(注1)で閉ざされているので、住戸は共用部(注2)に背を向けているのが実情である。これでは共用空間をただ整備しただけでは生きた使われ方をしないことは目に見えている。内部の生活空間と合わせたリプログラミングが不可欠ということになるだろう。言い換えれば集合住宅の住戸のプログラムの解体とリプログラミングをも試みるような建築的提案が生まれなければ、集合住宅の現状を根本から見直すことは不可能なのである。

 
 
●新しい集合住宅の予感
そこで最近の集合住宅の中から、次なる時代の「集合住宅の始まり」へとヒントを提示していると思われる2つの事例に注目してみることとした。ひとつは山本理顕さんの「東雲キャナルコートCODAN1街区」(以下、東雲/注3・4)であり、もうひとつが西沢立衛さんの「森山邸」(注5・注6)である。このふたつの集合住宅は私の著書である「集合住宅をユニットから考える」(注7)の中でも取り上げており、その際各設計者にもインタビューを行い設計に対する考え方なども直接伺っている。

 

(1) 東雲キャナルコートCODAN                              (2) 森山邸
 
●「鉄の扉」から「透明な扉」へ
山本理顕さんは東雲で、従来の閉鎖的で完結した一つの住戸をいかにして外に開くことができるかを考えた。そして、振り返ると「非常に単純なことだった」と山本さんは言うけれど、「家族専用住宅(注8)を想定せずに仕事場を挿入したとたんに、外とつながることが当たり前になった」のである。東雲で、働く場所と住む場所が一体化しそれらの境界がなくなるようなユニットを山本さんはつくりたかったという。
 
家で仕事をするということで住戸の共用廊下側はオープンである方が自然だと考えた。今多く市場に出回っているワンルームの住戸プランは台所と浴室が玄関脇に取られ、その先の開放面側にリビングルームが設けられている。しかしこれでは水周りが邪魔をして廊下側をオープンにすることは不可能である。そこで水周りとリビングルームの位置関係を逆転させ、水周りを窓際に持っていくことを考えた。居室には水周り経由で光が入ってくるのである。

       (3) 共用廊下に面したホームオフィス       (4) 窓側に面した水廻り(写真:大橋富夫)

山本さんは「ひとつの住宅が外に開く契機がもしあるとすれば、ひとつの家族に何らかの欠陥がある場合」であるということに、社会学者の上野千鶴子さん(注9)との対談で気付かされたそうだ。だから東雲の場合の開くきっかけはホームオフィスだったけれど、それは高齢者の介護であっても子供の世話であっても成立する。もはやひとつの住戸の内側ではケアしきれなくなった要素によって住宅は外に開く契機を持ち得るのだという。例えばヘルパーやベビーシッターなどのような他人が住宅に入ってくるような場合でも、家族単位で完結していた住戸が根本的にリプログラミングされるきっかけを持ち得るのである。また、そうした社会とのコンタクトが共用部分の考え方をも見直す可能性をも秘めているのではないかだろうか。

 
 
●境界の融解
西沢立衛さんが森山邸で試みたことは正に、規格型の箱を繰り返すことで作られている集合住宅の現状に真っ向からチャレンジしたといっても過言ではないだろう。西沢さんも言っているとおり提案のポイントは「一戸一戸違ったかたちの住戸がもてるということ」「全戸庭付き住宅」であること、「開放的な生活」が可能なこと、「中と外に広がる生活」を実現できるということなどである。そのうちのどれを取ってみても、市場原理、経済原理のみならず管理効率までをも優先する現在の集合住宅の供給の仕組みにはあてはまらないものばかりだ。
 
しかし集まって住むがゆえに可能な豊かな外部の共用空間が森山邸にあることはあの集合住宅を訪れた誰でもが感じることだろう。建物周囲に塀はなく、専有地としての境界もあいまいな上に住戸と住戸の間は路地空間となっているので、周辺の街並みや環境に違和感なくとけこんでいる。かつての公団の団地がそうであったように、森山邸の住人でなくても散歩の折にふらっと通り抜けたくなるような、他者を排除しない共用空間がこの集合住宅の魅力である。大規模化した集合住宅がもはや忘れてしまった、最も人間らしい生活がそこにはあるのだ。

        (5) ニワと繋がるリビングルーム            (6) 住戸と住戸を繋ぐ路地空間
 
森山邸は大小様々の大きさの箱の集合により全体が構成されている。一世帯がひとつの箱に収まっている場合もあれば、複数の箱にまたがるケースもあるので、明快な住戸区分は外観からもまたプランからも読み取りにくい。同じものの繰り返しでつくられる集合住宅の計画自体が森山邸では覆されているのである。共用スペースである外部の通路空間は自分の住戸の建具を90度開放することでその部分の往来がブロックされ共用の庭が一時的に専有化される。開口部は隣戸の壁に向けて取られているのでプライバシー性が高い外部空間となる。土に近い昔懐かしい生活を楽しむ仕掛けがあれこれと盛り込まれているのである。

 
 
●集まって住むこと−価値の本質を問う
東雲と森山邸に共通することは、共用部に住戸が開いており、また住戸内部からの視線がそこへ向いていることである。これは共用部に背を向けている現在の住戸から見ると、共用空間との関係を逆転する発想である。現状は不透明あるいは半透明の閉鎖的な開口部が共用部に面しており、それを必要な時のみ開けるという考え方であるのに対し、東雲や森山邸では透明な開口部を必要な時に閉じればよいというちょっとした発想の転換なのだが、できたものを見るとこの逆転の発想が今の集合住宅を一新させていることもまた事実なのだ。
 
大規模に集合化することで忘れてしまった人間どうしの関わりと集まって住むことへの価値の本質までをも今一度と問いただすことが、次なる「集合住宅の始まり」に繋がるであろうことを東雲と森山邸は訴えかけているように思えてならないのである。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
注1 鉄の扉
ここでいう「鉄の扉」とは、日本での集合住宅の普及に際し、多くの団地やマンションで採用されたスチール製の玄関扉のことである。鉄扉の導入は、家族の孤立化、プライバシーという概念を象徴するモノと捉えられている。この鉄扉が家族を社会(外部)から隔離・孤立させた一つの原因であり、家庭内で起こりうるDVや児童虐待などが外部に漏れなくなった、と指摘されることもある。
 
注2 共用部/専有部
2以上の住戸又は住室を有する建築物で、かつ、建築物の出入口から住戸の玄関に至る住民共同の階段、廊下等を有するものを通常「共同住宅」と呼ぶが、そのうちの住民共用の用途(廊下・階段など)を有する部分を共用部といい、各住戸を専有部という。
 
注3 山本理顕(1945年−)
建築家。山本理顕設計工場代表。横浜国立大学大学院建築都市スクール"Y-GSA"教授。代表作に『GAZEBO』(1986)、『熊本県営保田窪第一団地』(1991)、『岡山の住宅』(1992)、『埼玉県立大学』(1999)、『公立はこだて未来大学』(2002)、『東雲キャナルコートCODAN』(2003)、『横須賀美術館』(2007) など。著書に、『住宅論』(住まいの図書館出版局/1993)、『現代の建築家 山本理顕』(鹿島出版会/1997)など。
山本理顕設計工場 ウェブサイト 
 
注4 東雲キャナルコートCODAN1街区/山本理顕
都市再生機構による賃貸型集合住宅(5街区は東京建物株式会社による賃貸住宅事業)。基本計画は都市再生機構と日本設計が担当、街区ごとに様々な建築家が基本設計を行う。山本理顕設計工場(1街区)、伊東豊雄建築設計事務所(2街区)、隈研吾建築都市設計事務所、アール・アイ・エー(3街区)、山設計工房(4街区)、スタジオ建築計画、山本・堀アーキテクツ(6街区)、設計組織ADH+WORKSTATION(アパートメンツ東雲キャナルコート/5街区)。山本氏が手がけた1街区の専有部玄関扉は鉄の扉ではなく、透明なガラス扉が採用され、外とのつながりが意識されている。
 
注5 西沢立衛(1966年−)
建築家。西沢立衛建築設計事務所代表。横浜国立大学大学院建築都市スクール"Y-GSA"教授。 妹島和代氏とのユニット・SANAAとしても設計活動を行っている。代表作に『ウィークエンドハウス』(1998)、『鎌倉の住宅』(2001)、『ベネッセアートサイト直島オフィス』(2004)、『船橋アパートメント』(2004)、『森山邸』(2005) など。
西沢立衛ウェブサイト 
SANAAウェブサイト 
 
注6 森山邸/西沢立衛
西沢立衛氏が設計した専用住宅+賃貸住宅。ひとつの敷地内に、各住戸が界壁ではなく庭によって分け隔てられて建っている。各住戸が断絶するのでなく、庭を介してつながり合うような関係が保たれた設計がなされている。
参考図面(新建築社)
 
注7 渡辺真理+木下庸子「集合住宅をユニットから考える」
設計組織ADHの渡辺真理+木下庸子による共著。新建築社、2006年発行。
 
注8 家族専用住宅
一般的に住宅は、マンション・アパートなどの「共同住宅」と戸建住宅などの「専用住宅」とに二分される。専用住宅は、居住だけを目的にしている住宅であり、店舗などを併設した住宅は「併用住宅」と呼ばれる。ここで言う「家族専用住宅」とは、単身世帯の住宅ではない、家族が住むことを目的とした専用住宅を示している。
 
注9 上野千鶴子(1948年−)
社会学者。東京大学大学院社会学研究室教授。専門はジェンダー及び女性学であるが、記号論、文化人類学、消費社会学、文学論など、幅広く活躍している。著書に『女という快楽』(勁草書房/1986)、「近代家族の成立と終焉」(岩波書店/1994)、『ナショナリズムとジェンダー』 (青土社/1998)、『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』(平凡社/2002)、『老いる準備−介護することされること』(学陽書房/ 2005)など。
 

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chap1:●集合住宅の現状に思う
chap2:●「集まって住む」とは?
chap3:●新しい集合住宅の予感
chap4:●「鉄の扉」から「透明な扉」へ
chap5:●境界の融解
chap6:●集まって住むこと−価値の本質を問う


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